南京ではなく重慶爆撃でのパニック死者

『重慶爆撃』1938年12月4日から1943年8月23日にかけて日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃。
写真は「防空壕に戻ろうとして踏みつけられたり窒息したりして死亡した人々」

A pic of the victims in Bombing of Chongqing.  
 
Casualties of a mass-panic during a Japanese air raid in Chongqing in 1941. Photo by Carl Mydans. 
 
スクリーンショット (144).png 
 

この記事へのコメント

  • Shirt

    LiFEには「1941年6月5日、日本軍は重慶を爆撃した。5000千人の市民は2km半にも達する防空壕に避難した。5時間にわたる空襲のあと、扉を開くと4000人の市民が窒息死していた。」
    という解説がある。
    2015年10月28日 02:15
  • akinokami

    この写真、実はまったく同じ位置から撮られている、カットされている背景の民家が綺麗に写っていてもう少し死体の数が多く、かつ人民軍兵士と思われる兵士が数名写り込んでいる写真と、石段の形状からしてこの石段の反対側から撮られたと思われる写真が他に存在しています。写り込んでいる民家にはおおよそ爆撃の後が見受けられず、空襲当時の重慶には人民軍兵士はおりません。またこの写真では取り除かれている遺体には当時の日本女性の髷結いをされているような妊婦さんの遺体が写っていて、しかも多くの遺体は下腹部は露出させらせ性器を抉られているような遺体も写っています。猟奇性は通州事件の惨状に近いです。(事実反対側から撮られたのでは?と思われる写真は通州事件における日冦を犯して殺した写真と書いてあります。
    https://kknews.cc/history/pvl2je.html
    )多分、重慶爆撃の被害者たちでもありません。山が幽かに写っていますから通州でも南京でもありません。まったく別な所で国民党軍の狼藉の痕です。
    2018年03月17日 08:35