上海騒乱の1年後

「アサヒグラフ」(1928(昭和3)年5月16日号) 「休戦勧告の我が装甲自動車(3日)」 解説 上海動乱の1年後、済南の日本の権益が一方的に侵され、邦人居留民14名(男12、女2)が惨殺され、軍人26名が戦死したのです。 同五月二日、蒋介石(南軍総司令)より、「治安は中国側が絶対に確保するので日本軍の警備を撤去されたい」と要請があり、それを聞き入れて退去した翌日(三日)に…

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仏軍も警備にあたる

「アサヒグラフ」(1927〈昭和2〉年4月27日号) 「仏国兵とタンク、北四川路松」 解説【1927(昭和2)年の上海騒乱】フランスは戦車まで繰り出して警備を強化していました。 出典:水間政憲著 ひと目でわかる「日の丸で歓迎されていた」日本軍 米英仏、知らぬ存ぜぬとは言えないはずだが・・

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米英兵ら

「アサヒグラフ」(1927〈昭和2〉年4月27日号) 「警備中の米英兵」 出典:水間政憲著 ひと目でわかる「日の丸で歓迎されていた」日本軍 子孫が何も知らないはずないよねぇ?

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菓子屋に落ちた流弾

「アサヒグラフ」(1927〈昭和2〉年4月27日号) 「風亭の菓子屋に落ちた流弾」 解説【1927(昭和2年)の上海騒乱】この流弾は、中国側が発砲したものですが、内乱に対する日本側の対応の甘さによって、中国側の日本への嫌がらせが増長していくことになったのです。現在の日本の対応と似通っています。 出典:水間政憲著 ひと目でわかる「日の丸で歓迎されていた」日本軍

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警備にあたる英国兵

「アサヒグラフ」(1927〈昭和2〉年4月27日号) 「警備にあたる英国兵(前方に立っているのは司令だんかん少佐)」 解説【1927(昭和2)年の上海騒乱】この騒乱での在留外国人の被害は、ほとんどありませんでした。 しかし、この上海騒乱から、共産党が政権を奪取する1949年までの間、表面的な「国共合作」があっても、じっしつてきには内戦状態だったのです。阿片戦争以降、中国で最大の外…

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