満州事変の起点とは

「アサヒグラフ」(1928〈昭和3〉年5月23日号) 「敵弾に倒れた兵士の収容」 解説 満州事変の起点は、極東国際軍事裁判(東京裁判)以降、1931年9月18日の柳条溝(柳条湖)事件と規定されていますが、それは連合国側や中国の都合上の歴史認識であり、実際に日本と中国側が直接矛を交えたのは、この洛南事件だったのです。1927年の上海騒乱や南京事件とこの1928年に勃発した洛南事件を…

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中国軍の悪行

「腹部内臓全部露出せるもの、女の淫部に割木を挿入したるもの、顔面上部を切落したるもの、右耳を切落され左頬より右後頭部に貫通傷あり、全身腐敗し居れるもの各一、陰茎を切落したるもの二」 (五月九日、田中外相宛、西田領事報告)。 「この惨殺したいにかんしては、我が軍と警察が中国側立会いの下に済州委員が行った検死である」 (「済南事件を中心として」小川雄三著、山東新報社)。 国立図書館デ…

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略奪巡警の強制武装解除

「アサヒグラフ」(1928〈昭和3〉年5月16日号) 「最後まで抵抗した略奪巡警に対して、我軍の強制武装解除(3日)」 解説当時、中国では警官が泥棒に変身することは日常茶飯事でした。現在でも官吏の汚職が頻発しており、毎年、多数処刑されています。 出典:水間政憲著 ひと目でわかる「日の丸で歓迎されていた」日本軍

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中国南軍の便衣兵

「アサヒグラフ」(1928〈昭和3〉年5月16日 「捕虜となった南軍便衣隊(3日):彼らは支那郵便局に隠れて、さかんに我が軍を狙撃したものである」 解説 当時、戦場において規定されていた戦時国際条約では「民間服(便衣)」での戦闘行為は、民間人を巻き込む可能性があるため、便衣は厳禁とされていました。それら国際条約を無視して挑発を繰り返していたのが中国だったのです。 「…

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